週末の物語 「301.5号室の住人」
「301.5号室の住人」
わたしはとある古いマンションの302号室に住んでいる。
細長いマンションで、1つの階に部屋は2つしかない。
階段を上ってすぐが301号室、その隣がわたしの住む302号室だ。
301号室には、学生が住んでいるらしい。「らしい」というのは大家さんがそう言っているのを聞いただけで、実際に会ったことがないからだ。
ある日、仕事を終えてマンションに帰ってきたわたしは、ドアの鍵穴に鍵を差し込もうとした。けれども、鍵が入らない。
ふしぎに思って一歩引いて見てみると、わたしが立っていたのは301号室と302号室の間だった。
301号室と302号室の間に、もうひとつ部屋ができているのだ。
その部屋のドアには「301.5号室」というプレートがかかっている。しかも、その部屋のドアはわたしの住む302号室のドアの半分くらいの幅しかない。
こんな部屋、これまでになかったはずだ。
呆然と立ちすくんでいると、301.5号室のドアがゆっくりと開いた。
「何か御用ですか?」
ドアの向こうにいたのは、ムササビ夫人だった。
「わたしは302号室に住む者で…。」としどろもどろになって言うと、
「あら、お隣さんでしたか。挨拶もしませんで御無礼いたしました。」とムササビ夫人はにこやかに答えた。
「あ、いえ。こちらこそ。」
「よかったらお茶でも。木苺のパイを焼きましたの。」
そうムササビ夫人からお誘いいただいたので、ご馳走になることにした。
その部屋は、奇妙に圧迫感のある部屋だった。壁と壁の距離が近いのだ。小太りのわたしは、体を斜めにしないと奥に進めない。
しかし、ムササビ夫人は優雅に壁と壁の間を飛んでゆく。
彼女にはおあつらえ向きの部屋ともいえる。
木苺のパイはたいへんおいしかった。
ムササビ夫人の住む301.5号室でふしぎなひとときを過ごしたあと、わたしは302号室へと戻った。
翌日、301.5号室は忽然と消えていた。
302号室の隣は、元通り301号室だった。
その後しばらくして、初めて301号室の住人に会った。
彼はぺらりと薄い身体をしていて、彼ならムササビ夫人のお茶会に誘われても壁と壁の合間を縫って、悠々と参加できるだろうと思った。