テレビ番組はほとんど見ないのですが、民放テレビポータルサイト「TVer」でドラマ『カルテット』が公開されていたので毎週たのしみに見ていました。
昨日はその最終回。
夢をもつこと、かなえられない夢をもちつづけること、才能がないとしてもすきで仕方のないこと、他人と気持ちを通い合わせること、すきという気持ちがあふれること、働くこと、気遣いを忘れないこと、悪意を向けられること、間違った正義感を暴走させること、興味本位で人のうわさをすること、夢をかなえること、そして、生きるということ。いろいろなことを考えさせられたドラマでした。
(この画像をインスタグラムとツイッターにアップしたのですが、ツイッターのほうで♡が500以上と、自分史上最高の反響をいただきました。カルテットすごい!)
ところで、登場人物四人が組むカルテットの名は「カルテットドーナツホール」。
「ドーナツホール」つまり「ドーナツの穴」について、登場人物のひとりが「穴がなかったら、ドーナツではない」「皆のちゃんとしていないところ(=ドーナツにおける穴)がすきだ」といった趣旨の発言をするシーンがあります。
ドーナツをドーナツたらしめているのはその穴である。
これを人間存在に置き換えれば、その人の人格を形成しているのはその人の欠落部分である、ということになるのでしょうか。
「ない」ことは「ある」ことよりも、「しない」ことは「する」ことよりも雄弁にその人の人となりを語るのかもしれません。
…と、ここで自分も冒頭で「テレビ番組はほとんど見ない」と、「しない」ことでの自分語りをしていたことに気づきました。
そういえば、「持つ」ことではなく「持たない」ことに焦点をあてる(例えば、ミニマリスト)、「知っている」ことではなく「知らない」ことで優位に立とうとする(例えば、芸能人に対する知らないアピール)などなど、良くも悪しくも「ない」ことがその人の美学や思想を浮き上がらせることがあるようにも思います。
そんなこんなをドーナツの穴を眺めつつ考えたのでした。
(イラストの車のタイヤは「ヤングドーナツ」。砂糖のじゃりじゃり感がすきです。)