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読書日記 平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

本当の自分って?」という問いを自らに対して発したことのある人は多いかと思います。

自分について「自分とはこういう人間である」とは言い切れず、「自分はこういう人間のときもある(あった)し、ああいう人間のときもある(あった)」と確固たる自己像を描き切れずにいました。

つまり、所属する集団内での位置や組織での立場によって自分に対する評価が変わるし要求される振る舞いも異なってくるわけで、そうなると、統一した自己像(セルフイメージ)というのは持ちづらく、自己像(セルフイメージ)がその場その場で分断されるということになるのではないかと感じていたのです。

そんなときに『ご本、出しときますね』というテレビ番組の中で「分人」という考え方を知って、「分人主義」について提唱している平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』という本に興味を持って読んでみることにしたのです。

 

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(向かって左が「個人主義」、右が「分人主義」のイメージ図)

 

 「一人の人間は、『分けられない individual』存在ではなく、複数に『分けられる dividual』存在である。だからこそ、たった一つの『本当の自分』、首尾一貫した、『ブレない』本来の自己などというものは存在しない。」というのが筆者の論です。

この「複数に『分けられる dividual』存在」というのが筆者の言う「分人」です。

筆者は、「個人主義」にかわって「分人主義」を提唱しています。

たとえば、一人でいるときの「私」と、友人と話しているときの「私」と、会社で上司に接しているときの「私」とは異なる。そういういくつかの「分人」を総合したものが「私」なのだということです。

そして、筆者はこうした「私という存在」について「他者との相互作用の中にしかない」とも述べていて、他者の数だけ「分人」が存在することになりますが、自分がそこにいて楽しい集団と苦しい集団とがあれば、前者の「分人」は自分にとって心地よいと感じる「分人」となり、後者の「分人」は自分にとって釈然としないと感じる「分人」となる。そのことに対して「好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい」と言っています。

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(どちらも「私」であり、どちらの「私」も選択することができる。)

 

これを読んだとき、「自分」という存在は固定されたものではなく、もっと流動的で変化可能なものなのだと感じて、すっと気持ちが軽くなりました。

人間関係で悩んでいた学生時代に読みたかったなあと思いました。

いつでもどこでも変わらない「私」があることにもあこがれはしますが、場面場面でさまざまに移ろう「私」があることも許容し、両者の間をたゆたうように、柔軟に生きたいと思いました。

 

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)