イラストレーター・山奈央のあれこれどこそこ

よろしくお願いします。お仕事募集中です。ご依頼は、eleven_7_0@yahoo.co.jpまでどうぞ!

毎日に慣れすぎてしまわないように、毎月新しいことを

毎日毎日同じことの繰り返し。

これをマイナスととるか、プラスととるか。

わたしにとってはプラスです。

毎日毎日同じようなことが繰り返されるような変化のない日々を過ごしていて、そうした平穏な毎日をありがたいと思っています。

というのも、頻繁に変化が起きるような日々は身も心も落ち着かないかと思うのです。

しかし、あまりに変化がないと毎日に慣れて飽きてしまうのも事実。

時々「自分を揺らす」ように知らない場所に行ったり慣れないことを始めたりしたくなります。去年はそれでニューヨークに行きました。

 

yamanaonao.hatenablog.com

 

今年は同じところにとどまっていることで自分が固まってしまわないように、定期的に「自分を揺らす」ことにしました。

毎月何か新しいことをすることにしたのです。

まず最初の月となる今月は、新しい習慣を始めました。散らかる前に掃除することになるのでよいです。

 

yamanaonao.hatenablog.com

 

あと、新しいこともやりはじめました。

ごみやがらくたといったレベルのものは処分したものの、海外を旅行したときに蚤の市でお土産にと買った雑貨や美術館のミュージアムショップで記念にと買ったポストカード、買ったけれど結局使っていないほぼ新品のものなど、持て余しているものがそこそこあったので、捨てるよりは必要な人に譲って手放すということをはじめました。

(手軽そうだったので「メルカリ」をを利用することにしました。)

ちなみに、8点手放して4000円ほどの利益になりました。せっかくなのでちょっと特別なことに使おうと、「帝国ホテル」のラウンジで優雅にホットチーズケーキなるものを食べてきました。おいしかったです。さらに帰り道にはきれいな三日月も。

 

https://www.instagram.com/p/BP7P_x_DXtJ/

https://www.instagram.com/p/BP7QM7ijP3A/

 

来月は、どんな新しいことをしようかな?

 

 

部屋をきれいに保つために今年からはじめた新しい習慣

2017年となってそろそろ1か月。

お正月休み気分が抜けきれないまま中旬になり、そして中旬になって体調を崩して臥せっているうちに1月ももう終わりがけに…。

新年にいろいろ目標を立てましたが、のろのろとした歩み出しとなっています。

さて、その目標のひとつに「部屋をきれいに保つ」というのがありまして。

これまで、部屋の乱れや汚れが目につきはじめたら掃除をするという方針をとっていました。それはそれでよかったのですが、忙しいときや面倒なときに掃除を後回しにしてしまって気がつくと部屋が散らかっているということがたびたびあったので、今年から少々方針を替えることにしました。

それは、曜日ごとにコーナーを定めて、部屋の掃除を定期的にするというもの。

 

f:id:yamanaonao:20170125194137j:plain

 

・月曜日…床掃除と床の水拭き

・火曜日…火回り(ガス台など)の掃除

・水曜日…水回り(台所・風呂場・洗面台など)の掃除

・木曜日…床掃除

・金曜日…トイレ掃除

・土曜日…部屋の気になったところの掃除

・日曜日…部屋の気になったところの掃除

(※玄関はほぼ毎日掃除)

といった感じで、曜日のイメージと部屋の各コーナーの掃除とを組み合わせてみました。

今のところ、部屋はきれいに保たれています。

 

 

読書日記 平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

本当の自分って?」という問いを自らに対して発したことのある人は多いかと思います。

自分について「自分とはこういう人間である」とは言い切れず、「自分はこういう人間のときもある(あった)し、ああいう人間のときもある(あった)」と確固たる自己像を描き切れずにいました。

つまり、所属する集団内での位置や組織での立場によって自分に対する評価が変わるし要求される振る舞いも異なってくるわけで、そうなると、統一した自己像(セルフイメージ)というのは持ちづらく、自己像(セルフイメージ)がその場その場で分断されるということになるのではないかと感じていたのです。

そんなときに『ご本、出しときますね』というテレビ番組の中で「分人」という考え方を知って、「分人主義」について提唱している平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』という本に興味を持って読んでみることにしたのです。

 

f:id:yamanaonao:20170117182710j:plain

(向かって左が「個人主義」、右が「分人主義」のイメージ図)

 

 「一人の人間は、『分けられない individual』存在ではなく、複数に『分けられる dividual』存在である。だからこそ、たった一つの『本当の自分』、首尾一貫した、『ブレない』本来の自己などというものは存在しない。」というのが筆者の論です。

この「複数に『分けられる dividual』存在」というのが筆者の言う「分人」です。

筆者は、「個人主義」にかわって「分人主義」を提唱しています。

たとえば、一人でいるときの「私」と、友人と話しているときの「私」と、会社で上司に接しているときの「私」とは異なる。そういういくつかの「分人」を総合したものが「私」なのだということです。

そして、筆者はこうした「私という存在」について「他者との相互作用の中にしかない」とも述べていて、他者の数だけ「分人」が存在することになりますが、自分がそこにいて楽しい集団と苦しい集団とがあれば、前者の「分人」は自分にとって心地よいと感じる「分人」となり、後者の「分人」は自分にとって釈然としないと感じる「分人」となる。そのことに対して「好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい」と言っています。

f:id:yamanaonao:20170117182845j:plain

(どちらも「私」であり、どちらの「私」も選択することができる。)

 

これを読んだとき、「自分」という存在は固定されたものではなく、もっと流動的で変化可能なものなのだと感じて、すっと気持ちが軽くなりました。

人間関係で悩んでいた学生時代に読みたかったなあと思いました。

いつでもどこでも変わらない「私」があることにもあこがれはしますが、場面場面でさまざまに移ろう「私」があることも許容し、両者の間をたゆたうように、柔軟に生きたいと思いました。

 

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

  

 

祝ブログ一周年! 「山奈央のあれこれどこそこ」

昨年の1月12日にブログをはじめて、今日でちょうど一年になりました。

記事に対して皆さまから☆やコメントをいただくことが励みとなって、いままで続けてくることができました。どうもありがとうございます

ブログには、タイトル通りに「あれこれ」考えたこと・思ったことや「どこそこ」に行ったことなどをつづってきました。

つまり、わたしのブログは日記のようなものなのですが、自分だけが読むことを前提としている日記に書くのとは異なり、自分以外に読む人のいるブログに書く場合では「書いて伝えるべきことはないか」「書くだけの意味があるのか」「書いたからには実行しなければならないができるか」といったことを考えながら書くので、思考の鍛錬になるというか、曖昧だった思考が徐々に固まっていくような感覚があります。

とはいえ、思いついたことを気ままに書きつづってはいますが。

また、良いことがあればネタになると考え、悪いことがあってもそれはそれでネタになると考えるようにもなりました。それに、少なからず「充実した日々を送っているステキな自分」を演出したという下心も働くので、そのために出不精の自分がときどき出歩くようにもなりました。

そういった日常の中の「良いこと探し」をするようになったのが、ブログをはじめて変化したことのひとつのような気がします。

今日で一年という節目を迎えましたが、2年目、3年目と続けていけるよう、このブログを気ままに書きづつっていきたいと思っておりますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします

 

f:id:yamanaonao:20170112155729j:plain

 

ブログで良い知らせができるようにがんばります。

 

 

週末の物語 「ねこきつさ⑯」

ねこきつさ、16杯目のコーヒー。

 

f:id:yamanaonao:20170108190508j:plain

 

2017年の干支・酉にちなんで。

とりどりとりこし苦労、おっとり、間どり図などなど、「とり」のつく言葉をいろいろ探しました。

 

f:id:yamanaonao:20170108190619j:plain

f:id:yamanaonao:20170108190646j:plain

 

本年はしっかりと創作活動にとり組んでいきたいと思っています。

どうぞよろしくおねがいいたします!

 

 

お正月に実家で感じる懐かしさと煩わしさと美味しさ

実家に帰省してきました。

正月うちは天気もよく、のんびり過ごしました。

帰省して感じることは、懐かしさと煩わしさ

実家周辺の景色やひさしぶりの実家で過ごす時間に懐かしさを感じるものの、家族の生活ペースに合わせることや行きたい場所に車でないと行けないということなどに煩わしさを感じることも…。

快適な一人暮らしに慣れ過ぎたようです。

とはいえ、実家でしか経験できないこともあり。

たとえば、もちつき。

 

https://www.instagram.com/p/BO6PNLyDWcf/

(実家からもらってきたおもちを早速今日焼いて食べました。美味しかった。)

 

正月用のおもちをつくのが毎年恒例の行事なのですが、いまだに臼と杵でつくという方法でぺったんぺったんついています。昔話みたいに。あるいは、クールポコみたいに。

ところで、今年は地域によってはもちつきのイベントをノロウィルス対策で中止したところも多かったようですね。

たかがもち、されどもち。

もちなんて今時スーパーで買えるものですし、手間がかかることや一年に一回使うだけの臼と杵を保管するスペースが必要なことを考えると、合理主義者からすれば無駄な行事に思えるかもしれませんが、伝統というほどではないにしても、各家庭の慣習として家庭でのもちつきが伝承されていくといいなあと思います。

わたしはというと、日程が合わずにこのもちつきには参加できずについたもちを後日食べただけではありましたが、美味しさは格別。

おせち料理、すきやき、しゃぶしゃぶ、雑煮、磯辺巻きなどなど、たくさん食べて、太って東京に帰ってきました。

そして、まんまと正月太りをしました…。

 

 

いい夢見ろよ!(ⓒ柳沢慎吾) 一富士二鷹三茄子

初夢に見るとよいといわれる「一富士二鷹三茄子」。

 

https://www.instagram.com/p/BOv-er-DLmS/

 

昨晩はそれにちなんだ土鈴を枕元に置いて寝ましたが、初夢の内容を全く覚えていませんでした…。

この「初夢鈴」という土鈴は、名古屋東照宮の授与品です。

 

https://www.instagram.com/p/BOv-NjDj6v-/

 

ちなみに、なぜ「一富士二鷹三茄子」を初夢に見るとよいのかは、徳川家康ゆかりの駿河の国の名物の三つだからだとか、富士に「不死」、鷹に「高・貴」かけて、「茄子」は実がよく成るので子孫繁栄を願ってだとか諸説あるようです。

(「一富士二鷹三茄子」のあとに「四扇五煙草六座頭」と続くことを、今回由来を調べていて知りました。)

また、いつ見る夢を初夢とするかは、1月1日の夜あるいは1月2日の夜とされているとかで。まだ2日の今日見る夢も初夢とみなされるようなので、今晩リベンジしたいと思います。

皆さまも、よい夢を見れますように!